今回、初めてインスタレーションという形で
映像の「展示」をやってみることになりました。
「映像」を展示するとは、どういうことなのか?

たとえば絵と違って、時間の変化にそって出来事が起こる事。
奥行きのある空間を使った演出が出来る事。
つまり、時間と空間を使った表現、ということになります。

さて、自分の中で、時間と空間に心惹かれるモノというのを考えてみると、

窓から眺める広い空。
夕暮れ時の雲のグラデーション。
色んな魚が泳ぐ水族館の回遊槽。
その中の魚の群れのうごき、差し込む光のゆらめき。

こんな、ずっと見ていたくなる色や形、光や影の変化、だと思います。
そして、それによって呼び起こされるあいまいな記憶でもあったりして、
そういう時、ずっとそこにいたいという気持ちにさせられます。

こういった事は、何かの意図に合わせたり、予定したり、ではなくて、
起こっては自然に変化していく。
そして、また、新たな記憶として刻まれていく。
そんな風に、映像と音が存在している事をイメージして、
今回の「展示」を考えて「空の回遊槽」と名付けました。

一日一日、日替わりでテーマを変えて展示して行こうと思います。

月曜日 「深海」
火曜日 「内側」
水曜日 「粒子」
木曜日  「森」

金曜日には今回の展示の音楽を担当/制作してくださった
勝井祐二さんと、ライブという形式で、即興で今回のテーマ
「空の回遊槽」を表現してみようと思っています。

この5日間の展示は、いわば「記憶の風景の中をめぐる旅」だと思います。


迫田悠 

迫田悠さんの映像と、僕が音を出して共演する時に、いつもは特に何の打ち合わせも取り決めもしません。「こうやって始まろう」とか「何分か経過したら変化しよう」とか、そういった決め事をしないのです。実際には、即興でお互いに判断しながらやる事を決めて行くのですが、かといって、一瞬でも相手のやっている事を見逃さないように、と目を凝らしている訳でもないのです。何故ならば、あまり映像に集中しすぎると、自分の演奏に注意が途切れてしまう。逆にあまりに音楽に集中しすぎると、自分の作業の流れが散漫になる、といった事を迫田さんから聞いた事が有ります。お互いに、相手の映像/音にハマりすぎず、かつ自分の音/映像に集中しつつという、「良い加減」が有るのです。言葉本来の意味での「良い加減」さに、自然な流れのパフォーマンスを生み出すポイントが有るのだと思っています。

 

今回、映像のインスタレーションのタイトルを「空の回遊槽」だと聞いた時に、「あ、これはあの感じを言語化したんだな」と思いました。「あの感じ」とはつまり、いつも自然に始まり終わって行く彼女の映像の「良い加減」の事です。それはまるで自然現象のように違和感が無い。それでいて、必ずしっかりと目を惹き付けられて行く、あの感じ。様々な色や光の変化が、自分の場所やそこにいる時間を忘れてしまう様な体験が出来る、あの感じ。

 

「空の回遊槽」は、そんな迫田さんの世界観を見事に言い表しているタイトルだと思います。


 勝井祐二